ジャーナル/エッセイ  ·  2025.04.09

【Akkoの人生史】世界に羽ばたく力は自分の内側にある

【Akkoの人生史】世界に羽ばたく力は自分の内側にある

このnoteを開設したのは、数年前。*2025年12月に本サイトに記事を移行しました。
実はダンススクールの情報発信をしようと始めたものでした。

アメリカのおじいちゃんの家の壁。勉強好きだった父と通ずる標語が好きです

でもそのうち、私の頭の中や、日々考えていることを少しずつ書くようになって──
気づけば、自己紹介もないままに、記事ばかりが積み上がっていました。

今日はあらためて、私という人間が、どんな経験を経て、どんな想いでいるのか。

Chat GPTで作成したアイコン

私のライフヒストリーが「Englobal Academy」にどう繋がったのか。
“根っこ”や枝葉の部分を、言葉にしてみたいと思います。


“学びのスイッチ”を押す、そんな役割をずっとしてきた

新聞記者、WEB業界、習いごとスクール経営をしながら
社会人として歩んでいる15年ですが

思い返せば、高校時代に参加した学外のボランティア団体が、私の原点だったように思います。

当時の活動を伝えるCMCのブログ記事

「教育って、学校だけじゃなくて、社会の中にもあるんだ」と後々気づかせてくれた体験でした。

この数年は
自治体の進学支援プロジェクトで高校生たちと県外の大学を巡ったり、
キャリア教育の講座で中高生のファシリテーションをしたり。

高校生の国際交流事業で面接官

「今度は自分が『社会のなかで学ぶ場』を創る立場になったんだ」という思いで仕事をしています。

そんななか、
子どもたちが「知らなかった世界に触れる」瞬間をそばで見るたびに、
その体験をどう「自分の言葉」にしていくかのプロセスを、とても大切に感じます。

一つひとつの体験を言語化できれば、その言葉は、他者やネクストステップへの架け橋になる。

そういう思いから、子どもたちと関わる場では特に、
課題・問い・対話などで振り返る場を大切にしています
。


舞台はダンススクール Okinawa to the Worldの挑戦

子どもにとって、言語化が最大な効果を発揮する場は、
子どもが好きなフィールドでこそ、です。

私はアメリカ人のパートナーと”Okinawa to the World”を掲げたダンススクールを立ち上げ・共同で経営しています。

そこに集まるのはダンスが好きな子どもたち。

ありがたいことに、5歳だったメンバーが今や13歳になり、
長い付き合いでは8年ほどの生徒もいます。

でも、そこに至るまでの運営は、決して順風満帆ではなくて──

私と夫は国際結婚の夫婦。
「夫婦」「ビジネスパートナー」「文化の違い」「家庭」と、あらゆる役割が重なる中で、ぶつかり、それぞれの立ち位置を問い直しました。

ここにはあまり書かないけれど、
私は自分らしいあり方を追求した先に
アメリカ人と結婚したはずなのに、

いざビジネスをやると、日本の価値観や商業文化・消費者マインドばかりに
引っ張られて彼の良さや価値観を生かしきれなくなってきたように思います。

本当は国際結婚の妻をサポートする活動もやりたいくらいなんです。日本という固有性の高い精神文化、社会価値観の中で暮らす国際結婚の夫婦は大変だと思います。その活動もいつか。一個ずつ。

スクールは頑張っているのにメンタル的には疲弊して
どん底を経験したタイミングがあったからこそ、

私は自分のアイデンティティの見直しができたのだと
今は感謝しています。もう前へ進むのみ。

今は渉外や生徒のマインドサポートに関わりながら、
ダンサー本人やその家族と向き合っています。

スクールには、小学生から高校生まで、多様な背景を持つメンバーが集まっています。ミックスルーツも多い。

長年見ている生徒たちの成長と活躍は凄まじく、
全国制覇も、海外大会への出場権も得られるくらいの強豪スタジオとなりました。

しかし、この成長を遂げる道のりは大変。

人は究極の成長を目指すとき、身体的な技術や外側のハードスキルだけでは行き止まります。

メンタルとマインドセットを高く保ち、更新し続ける視野が必要。それは大人でも容易ではありません。

「諦めない力」「やり抜く力 Grit」があることなんて当たり前。

私は今「当たり前」と言ったけど、それがどんなに大変なことか。

ダンスを通じて磨かれるのは、スキルだけじゃない。
心、視野、そして“あきらめない力”です。
これはもう、教育なんだ、と確信しています。

最近は、私は私が関わった方がいいケースにおいて、メンバーのコーチングを手伝っています。

個別のワークシートを渡して、内省してもらったり。
質問を出して「ノートに思う存分答えを書いてきて」と言ったり。

ワークシート制作が間に合わなくても手書きで渡した質問シート。学びはタイミングも大事!

より良い家族のサポートを引き出すために必要であれば、親御さんとの対話・ヒアリング・メンタルサポートも。

ここは、アメリカ人で子育て観や教育文化の違う夫との役割分担です。

ただ、全てにおいて状況や性質の分析と、導きはパートナーが本当に上手。
彼の姿勢はリスペクトしてて師として学ぶことばかりです。

そんなこんなで、
パートナーの影響でストリートダンスの深みにハマってからは、開眼の学びと感動もいっぱい。

そしてこうも言えます。

自己表現の追求は非認知能力を育てるのに、最適。
表現と教育はとっても密接につながっている。

学問主義な道を歩んできた私は、ダンスというアートが人を豊かに育む可能性に圧巻されながら、スクールコミュニティの運営をサポートしています。

Instagramの運用は私担当。一番、私の頭の中を知れるかもしれません


中高生の頃から、私はずっと“伝えたがり”だった

中高生のころは、今と変わりなく、主張の強い子でした笑
海外への憧れは父譲り。

姉妹都市交流で学校代表として海外に行けると知り、生徒会長に立候補したり…先輩が立ち上げたボランティア団体を引き継ぎ、チャリティーイベントをしたり。

その延長でNHKテレビに出たり。ラジオパーソナリティーをしたり。

とにかく「やってみたい!」が先にくる学生でした。
メディアへの関心はこの頃から。

つくづく中学・高校時代の経験って、今に繋がってると思います。

進学校に通って塾には行かず勉強していたけど、
学校の中で、実績重視の先生たちのやり方には、どこか違和感があって。

ある時、難関大への進学を一人でも増やそうと、
先生たちが模試の偏差値が高い生徒だけを
一部ピックアップして補習講座した施策とか…

根に持ってます。w
「公立なのになぜ?不平等」と。

「頑張りたいって思ってる生徒を等しく応援してよ」って思ったあの頃の感覚も、今の原点かもしれません。

だからこそ、中学生・高校生がポジティブに思って進む体験、道を応援したいと今に至ります。

Englobal Academy立ち上げに至った動機にもなったダンスメンバー

ここまで読んで気づいた方もいるかもしれません。自分の学生時代は、「飛躍するには勉強が大事」という環境で育ってきました。

ですが、大人になった今はパートナーと一緒にダンススクールを運営することで、”学歴以外の羽ばたき方”を目撃してるのです。


大学進学で沖縄を出てカルチャーショック,ソーシャルショック

大学の卒業旅行はハワイへ

大学進学を機に、沖縄から県外へ。
言葉のアクセント、価値観、時間の感覚、コミュニケーションカルチャー、すべてにショックを受けました。沖縄という土地で、高校は国際科に通っていたのでそのギャップは大きく感じました。

時は2008年。
日本が沖縄に押し付けている基地問題が(元新聞記者なので、あえて、こう言います)毎日テレビで報道されていた頃。

テレビのニュースは毎日基地問題の話ばかりで
でも、社会系の学部なのに周りの同級生は全くそのことに触れない。

「沖縄って海綺麗だよね」「信号ある?」とか聞かれて

社会系学問をしに来たみんなは、毎日言われてるニュースは総無視なのかな?

メディアで言われる「沖縄像」とは違って
「海がきれいな沖縄像」の話ばかりしてくる、この現象なに?と
違和感ばかり。

今思えば、これが私が経験した「本音と建前」の世界の一種なんだとも思います。もしくは政治の話がタブー視される日本の社会構造。

当時はモヤモヤして、沖縄出身の友人同士で集まって泣いたりしてたけど(ピュア笑)
沖縄県外の人が多いコミュニティでは自分の思ってることは言わず、周囲のテンションに合わせて疲れたり、
自分のアイデンティティについて深く考え直したりする経験の連続でした。

最終的には沖縄出身のアイデンティティを、うまく生かせるようになったけど、一番仲良くなった友だちは帰国子女の友人や、留学生。笑

この原体験が「多様性」や「異文化理解」の体感的な原点となり、
後に「伝え方」を仕事にする新聞記者になる理由になります。

大学後半は、在日コミュニティを調査したり、
沖縄の移民と県人会・世界のウチナーンチュ大会を卒論で調査して、
卒業しました。


新聞記者として”ミックスルーツ”を取材し、本を出版

大学卒業後は沖縄に戻って新聞社に就職。
でもそこに行き着くための就職活動は苦しかったです。

沖縄と関東を行き来しながら51社受けました。受かったのは2社。

振り返れば「氷河期」だったのかもしれませんが、当時は暗中模索。「自分が否定されているように感じる」「生きている意味さえも否定された気分」になり、海辺でよく悩んでいたのを覚えています。

父を亡くしたのもこの頃。今思えば、グリーフケアも足りなかったかな。

メンターとかキャリアカウンセラーがいたら、どうだったのだろうと今なら思います。

**

新卒で新聞記者になってからは地域、社会、政治、基地問題、生活・ライフスタイル、健康問題など幅広く取材しました。

「ハーフは英語話せるのが当たり前?」
「事件が起きるたびに、自分も責められる気がする」

新聞社勤務のハイライトは沖縄の女性と米軍関係者の父との間に生まれたミックスルーツの取材。

彼らのライフヒストリーに詰め込まれた苦難を通して、社会のステレオタイプを毎回すごく考えさせられました。

連載として公にしてからは「今まで知られてなかった当事者のことをまとめてくれてありがとう」と言われ、とても充実した記者としての活動だったと思います。

でも同時に「どう伝えればいいのか」「私の言葉の選び方がステレオタイプの再生産になっていないか」と悩みも尽きませんでした。

最終的に、書籍出版時に、大衆的に知られている「ハーフ」という言葉を用いた件で、取材した方々との軋轢ができてしまいました。

いろんな理由はあったけど、これが「伝える」仕事から離れたという側面の一つだったとも思います。


教育のフィールドで感じた、ことばの力と非認知スキルの可能性

記者の部署から教育系・新規事業開発系の部署にうつり、
教育イベントやオンライン講座の開発を多数手がけました。

高校生向けのキャリア教育、18歳選挙権、主権者教育、SDGs…。

起業家マインドを育成する民間セクターの教育事業で、
シリコンバレー研修の取材にも同行し、
ビジネスカルチャー、コミュニケーション風土に
大きなインスピレーションをもらいました。

これを機に私はデザイン思考やUXを学び始めました

この頃から、自治体の教育イベントでのコーディネーター業務も増えてきました。

そしてこの記事の冒頭に紹介した、ダンススクール経営、教育コーディネーターとしてのキャリアを築いています。

学びの形が変わりゆくなかで、
新しい教育を考える人々と出会い
今の私があります。


現在はWEBメディアの運用責任者&人事も担当

現在は、会社員でWEBメディアの運営チームのリーダーをしながら、同時に採用人事などの仕事もします。

毎年10名以上の面接に関わり、文章では見えない人柄や志向性を知るプロセスはとても興味深いものです。


母になって気づいたこと──飛び立てない悔しさを、子どもに背負わせたくない

年月が経ち、私には娘がいます。
ミックスルーツで、日本語の世界にどっぷり生きる日々。
(でもこれは英語教師の資格をもつ夫の方針でもある。母語で思考を育むことが第一と)

ダンススクールの子たちも、全国や世界に飛び立つ年齢に差しかかっています。
“この島、この国からどうやって、未来に羽ばたいていけるか”
“それができない現実があったとき、どう支えることができるか”

そのためには、スキルや実績だけじゃなくて、自分で自分の人生を選ぶ力が必要。
それが、Englobal Academyという挑戦の出発点です。

自分をことばにできる子を育てたい。未来を、自分で選び取るために

Englobal Academyでは、
進路コーチング、英語力の土台づくり、非認知スキルの育成を軸に、
「自分の軸で生きる」力を育む学びを届けていきます。

大人が変われば、子どもの未来はもっと自由になる。
だから、必要なら保護者の方へのサポートも一緒に。

境界線を越えて生きる子どもたちの、居場所と学びの場として。
このプロジェクトを育てていきたいと思っています。

正解がひとつじゃない時代。とよく言われます。

私が思うのは

正解はある。あなたの中の方向性(軸)を育ててそれを正解にする、です。

Englobal Life を立ち上げてサービスを展開することは自分への励ましでもある。
-Living True Beyond Borders
自分らしく生きることが境界を越えていく鍵🔑

そんなふうに思ってます。

お知らせ📢 モニター生徒を募集しています

現在、Englobal Academyの無料モニター体験にご協力いただける中高生を若干名募集しています。

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東江亜季子
東江亜季子 / Akko
沖縄生まれ、元琉球新報記者。教育・越境・子育てをテーマに書いています。
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