旅育を科学する。
3歳の娘との旅を実例に、「なぜ旅が子どもを育てるのか」を実践しながら解き明かしています。これは、その記録の一つ。
えいや!で、歩き始めた
3歳1ヶ月の娘と、青森へ2人旅。十和田湖から流れる奥入瀬渓流を歩いた。
結果から言うと、4時間歩いていた。
前日まで、ベビーカーを持って行くかどうか、並んで、川を上る方がいいか、下る方がいいか、迷いもしたけど。
えいや!上手くのせて歩かせてみて、何度か励ましながら乗り越えた経験にしよう。本当にもう無理だと思ったところで、バスに乗ろう!と「おわり方」だけ決めて出発。距離にして4キロを、4時間も歩けたと一番驚いたのは、親の私だった。
「3歳に4時間? 大変なことしたね」
と家族や友達に言われたけど、道中、娘も私も楽しく歩けた。
旅育というと、小さい子には無理をさせない。予定は詰め込まない。ゆっくり、その子のペースで——。って言われるのかもしれないけれど…
私の子育て哲学は
ちょっとは無理をさせて、
立ち上がらせて再出発。
そして、しばらく頑張れたら
「レジリエンス経験」と「小さな成功体験」になるので
それを褒め称える!
戦略的に、それをやってた。
⚫︎キロ歩いたら〜
⚫︎時間歩いたら〜
⚫︎⚫︎の滝まで来たら〜
がゴールではなくて、
「もう嫌だー」「疲れたー」
▶︎ちょっと休んで
▶︎立ち上がって再出発
▶︎それなりの距離をまた歩けた
▶︎「すごい、さっきは無理って言ってたのにできたじゃん!」
を2,3周して散策を終えた。
娘は私に乗せられて「歩いた」のだけど、数年後に
結果的に「自分ってすごいじゃん」を感じる会話ができるといいなと楽しみにしている。
キノコ、苔、水に触れて…川の流れも石も、ぜんぶ実験だった
旅育的体験な観点で言うと…
道中では沖縄では見られない様々な自然に触れた。
まず、ひたすら長い川。そこを歩くという感覚自体が珍しいものだった。だからこそ没入して歩き続けられた、という体験的効果は大きい。
そして、大木に生えるキノコや苔を娘と見たり触ったりしながら、おしゃべり。
濡れていることが嫌いな娘、一方で湿ったところが好きな生物がいる。
それを対比しながら、娘が好きなキノコ類が「湿ったところで生える」と語り合いました。
時々、川に手を入れてみたり、葉っぱを船のように流してみたり。
水も、石も、全てが遊び道具であり、実験。いつかの理科につながる素材だった。
歩くことは目的じゃなくて、その道中に触りたいものがある。
だから「もうちょっと行ったら次に何があるかなー?」と足が前に出る。
そんなサイクルを回し続けた4時間だった。
「歩きなさい」とは、たぶん一度も言っていない。

この体験を、あとから図にしてみた。この図には下敷きがある。経験学習という考え方だ。
人は「やってみる→ふりかえる→意味づける→また試す」をぐるぐる回すことで学んでいく、というもの。
あの渓流で娘が回していたのは、まさにこのサイクルだったと思う。
歩いた距離が学びになったんじゃない。歩きながら触れて、感じて、また次へ向かった——その回転そのものが学びだった。
きれいに一周しているように見える真ん中のエンジンは好奇心とワクワク。
「もう歩きたくない」と座り込んだ
正直にいうと4時間、ずっとご機嫌だったわけじゃない。
途中で、はっきり「もう歩きたくない」「早くバス」という瞬間があった。
座り込んだ。その時、私も一緒に座り込んだ。
「もうちょっと先に行くと滝があるらしいよ」「バス停は先だよ」そう言っても、なかなか立ち上がらない。
そんな娘を横目に、彼女の内側からのエネルギー(内発的動機)は何によって再点火できるのか?観察してた。
娘のスイッチは、どこにあった?
ある海外ファミリーが後ろから私たちを追い越した時「この人たちはどこまで行くんだろうね?」と聞くと…
娘は立ち上がって追いかけ始めた。すごいスピードで笑
なるほど、誰かのスピードに「ついていかなきゃ」、誰かに「ついていきたい」、「置いていかれちゃ嫌だ」っていう気持ちがあるんだ。そう発見しながら娘を追う私の方が小走りで大変だったほどのスピードが出てた。
「歩きたくない → また歩き始める」の繰り返しの中で、
娘の体力と根性とその点火のきっかけ「モチベーションパターン」を発見した。

「させる」と「やりたくなる」は、ちがう
普段、娘は旅行となると「ベビーカー持って行く」と言う。そんな娘が4時間歩いたことは自分としてもとって驚き。
でも、それは子どもが「やりたくなる」環境をつくる私のチャレンジでもあった。
でもこういう「いつもならやらない」「いつもはできない」と思いがちなことをできるのが旅。
非日常は、限界と境界を越えるきっかけをくれる。入口とプロセス調整さえすれば、子どもは勝手に進んでいくのだと思った感動体験だった。
あの日、私がやっていたこと(あとで気づいた型)
- ゴールを「距離」や「時間」にしなかった。「もう無理」と思ったら終わり、と”終わり方”だけ先に決めた
- 失速したら、急かさず、一緒に座った
- 立ち上がるきっかけを、与えるのではなく観察した(娘の場合は「誰かについていきたい」だった)
- できた瞬間を、すかさず言葉にした(「歩けたじゃん!」)
たぶんこれは、青森の渓流だけの話じゃない。 子どもが「いつもならやらない」を越えるとき、親ができることの型なのだと思う。
次は九州。今日から娘と行き先を考えている。
九州の旅も、同じ「旅育を科学する」目線で記録していきます。
3歳とどう行き先を選び、どう失速し、どう乗り越えたのか——よかったら、その続きも一緒に見届けてください。

コメント