個育て・教育  ·  2026.07.17

AI時代の面接で問われる力|流暢さより大切な「自分の言葉」とは【面接官ノート】

AI時代の面接で問われる力|流暢さより大切な「自分の言葉」とは【面接官ノート】

面接官として感じたことを綴るシリーズの、3回目です。

前回は、議論が5分で行き詰まってしまうグループの話を書きました。感想は言えても、そこから先へ進めない。その限界点についてです。
 ▶︎ 前回の記事はこちら https://akikoagarie.com/2026/07/12/group-disucussion-problem/

今回は、その逆側の話をします。つまり、よく話せる子のことです。

流暢な子ほど、優秀なのか

面接官として100人以上の発表を聞いていると、当然ながら、話すのが上手い生徒に出会います。

言葉に詰まらない。論理が整っている。
時代のキーワードを的確に使い、社会の変化を淀みなく説明してみせる。聞いていて気持ちがいい流れです。

一方で、言葉に詰まる生徒もいます。「えっと」「なんて言えばいいんだろう」とも言えず、発言の機会を失う。もしくは自分の中を探りながら、ようやく言葉を見つけて一言か、二言だけ話す。他のメンバーほどの発言量には劣ってしまう。

さて、前者のよく話せる子の方がいいのでしょうか。
近年、私は、必ずしもそうではないと考えるようになりました。

もちろん、流暢に話せる表現力や言語化力は能力です。もしくはAIを使って原稿を作成する「準備スキル」も含めて能力。
それ自体は疑いようがありません。
ただ、話の流暢さと、その人が本当に心の根っこから思っていること、考えているかどうかは、別の問題です。

これは新聞記者として何千人のインタビューをしてきた経験からも思います(本当のことを喋ってるのかどうかを見抜くのも新聞記者の仕事でしたから。。。)

「時代がこうだから」と話す子

今年の面接のテーマは、AI時代のキャリアと大学進学でした。

このテーマは、すごく時代の的を得ていますが、一方で罠もあります。
「時代がこう変化していくから、こう進むべきだ」という話が、いくらでも作れてしまうのです。
ネットに情報が溢れている。親や先生からもおそらく言われている。AIに聞いても答えは出てくる。

実際、よく話が組み立てられている発表は、以前よりも多くなり、平準化した印象があります。
社会の変化を正確に読み取り、これから必要とされる能力を挙げ、だから自分はこの分野を学ぶのだと結論づける。論理としては完璧です。

しかし聞いていて、私のアンテナはまた違う部分を察知しています。

この生徒の本当の関心はなんだろう?
自分自身の欲望やミッションは何か。
本当に自分が思っていること、本当の自分へのタッチポイントの深さはどれほどだろうか?
自分の感触をどう言葉で表現するか?

社会が求めるものは詳細に語られるのに、その人自身が何にワクワクするのか、何が好きなのか、何に怒りを覚えるのかが、まったく見えてこない人もいます。外側の基準にきれいに自分をはめ込んでいくことだけが、正しいことなのだと話しているようです。

「ちょっと寂しいな」とその瞬間は思いながら、そのような子は結果的に最後は、印象には残らない、心に響いた形で残ってはないです。

このような場合を仮に 「外側基準タイプ」 とします。

難しい言葉は、文脈をつなげない

もうひとつ、気になるパターンがあります。

難解な熟語やキーワード、トピックを数多く並べるものの、それらが文脈としてつながっていかない発言です。

立派な言葉が、いくつも登場します。しかし、その言葉と言葉のあいだに、本人の思考の線が引かれていない。単語が独立して置かれているだけで、なぜAからBへ話が進むのかが見えてこないのです。

こういう視点もあるよね、この議論点もあるよね、と次々出すものの、それを起点に話が深まらなければ
「私はこんなに知っているよ」というものを見せているだけの形式的なものになってしまいます。

インプット式の勉強を積んでいる人の罠です。(私もこのタイプになりがち。気をつけます)

言葉の豊富さと、思考の深さは別のものです。

借りてきた言葉をいくら積み上げても、それは自分の論にはなりません。
そしてこれもまた、議論の行き詰まりを招く原因です。

自分の言葉で考えていないから、相手の言葉も自分の中に取り込めない。
取り込めないから、返す言葉が「いいと思いました」以上に進まないのです。

なぜ外側基準の人ほど、よく話せるのか

グループディスカッションでは、外側基準タイプの人ほど、饒舌で発言力が多くなりがちです。

すでに情報も言葉もたくさん用意され、記憶されているからです。

「AI時代には人間にしかできない創造性が求められる」「これからは多様性を尊重する社会だ」
——こうした言葉は、社会の側があらかじめ作ってくれています。
だから、話し手はそれを取り出すだけでよい。詰まるポイントがありません。

一方で、自分の内側から言葉を出そうとする人は、そう簡単にはいきません。

「私は……なんでこれが良かったかと思うと…」
「自分はAの方がいいと思ったんですけど、理由はこういう感じがして……」

まだ言葉になっていないものを、言語化しようとしている。だから言葉が出てこない。詰まる。

つまり、詰まっているのは、自分の言葉でしっかり考えようとしているからという場合があるのです。

ただ、これが選考だと、時間制限もあるし、選抜ですから、
その心意気を汲んで点数を上げられるかというと…そうもいきません。

だからこそ、日常の生活や練習の時間で、もし、本人が「考えている」時間があるなら是非、急かさずに、その人ならではの言葉が出てくるまでの足場掛けを大事にして練習してほしいと思います。

大人の世界でも同じこと

前回は、「議論の行き詰まりにある感想と評価の限界点」、
今回は「社会から借りた言葉を使う流暢さとその危うさ」について書きました。

でも、これってビジネスや社会人の世界でも起こりがちですよね。

発言のない社内会議、他者への相槌だけでアイデアが出ないオンラインMTG、横文字ばかりの先輩などなど。。。笑

だからこそ、大人が問い続けなければならないと思っています。この言葉と議論の問題は子どもたちへの注文である以前に、私たち大人が一度、引き受けるべき課題。そして毎年、多くの高校生を見ながら学生時代からの地続きなのだなと思います。

社会の変化を読むことは、必要な力です。時代の言葉を使えることも、立派な能力です。
しかし、社会や大人から借りた言葉を、借りたまま自分のものにしないまま使い続けることは、その人を空洞にしてきます。

だから問いましょう。

「その考え方は、どこで知ったの?」
「それを聞いたとき、自分はどう感じた?」
「自分の感じとは、どこがつながってる?」

社会から借りてきた言葉と、本人の実感のあいだに橋を架ける。そうすることで会話はもっと楽しくなり、自己理解も相互理解も深まります。


ここまで書いてきて、私は3歳の親である自分自身にも危惧を向けています。
私の娘は流暢に喋る方なんだけど(今のところ)。言語化が上手いからといって安心してはいけない。

「この子は、ちゃんとわかっている」 「求められている議論を読めている」 と思い込まずに、彼女が本当にそう思っているか、が大事。

流暢さは、安心材料にはなりません。
言葉に詰まることも、心配材料ではありません。

見るべきなのは、その言葉がその子の どこからきているか です。
知識をインプットした頭(思考)なのか、
本音を感じている心(感覚・感情)なのか。
それとも心で感じたことと、頭で考えたことを行き来して本人の中で揉みだされて生み出された言葉なのか。

AI時代だからこそ、言葉と実感を、大切に。

https://akikoagarie.com/2026/07/12/group-disucussion-problem/
東江亜季子
東江亜季子 / Akko
沖縄生まれ、元琉球新報記者。教育・越境・子育てをテーマに書いています。
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