ジャーナル/エッセイ  ·  2025.06.23

沖縄の人がしっかり育みたい、「芯の強い自己受容」と、“権利を主張していい”自分への許可

沖縄の人がしっかり育みたい、「芯の強い自己受容」と、“権利を主張していい”自分への許可

今日は、戦後80年の慰霊の日。

新聞記者から始まった私のキャリアは、紆余曲折を経て、最近はもっぱら「教育ビジネスの立ち上げ」に心を砕いている。

とはいえ、「教育」といっても、私がいま一番関心を寄せているのは——精神性、メンタル、心理、そして脳科学の分野。

子どもが生まれてからは、自己肯定感の深掘りをきっかけに、愛着パターンや愛着障がい、人生脚本、機能不全家族、トラウマなど、「子どもが育つ家庭環境」に強く意識が向くようになった。

学べば学ぶほど、自分自身を取り戻すような感覚になる。

特に、新聞記者を辞めてからの私は——
「お金を稼ぐ」ことや「仕事のため」という理由で、自分軸からどんどん乖離していったのだと、いま振り返って思う。

さて、最近になって、意外なひらめきがあった。きょうはその話。


沖縄を離れた友人や、今も沖縄に暮らす人のなかにも、
沖縄戦の記憶や平和教育、そして押し付けられる米軍基地の存在、その周囲に広がる社会問題のなかで——

「沖縄が嫌だ」と思ってしまう人たちが、ずっといる。

ネガティブな歴史や社会構造から目を背けながら、
社会的・経済的に発展したいという強い志を持ちつつ、
その志の裏で、やっぱりどこかに“嫌悪感”が同居している。

でもそれって結局、根っこには、沖縄への想いがちゃんとある。

ただ——
ネガティブなことって、やっぱりしんどい。
背負うのも、語るのも、少し重すぎるのだ。

だから、蓋をしたくなる。…わかる。すごく、わかる。

特に、私自身、子どもを育てる今、
あの沖縄戦を語り継ぐ「平和教育」を、我が子がどう受け止めるだろう?と、
少し先の未来を想像して、不安になることもある。

うちの子は、アメリカ人とのミックスルーツ。だからこそ、余計に。

私の著書でも触れたとおり、沖縄という場所の歴史と社会問題は、
ミックスルーツの子に、避けようのないかたちで降りかかってくる。

https://ryukyushimpo-store.com/items/6721e7e8b1f1ec00017f7f28

それでも、「悲惨な記憶は語り継ぐべき」——これが、私の個人的な主張だ。

だって、人は忘れる生き物だから。

忘れたとき、蓋をしたとき、
歴史を修正しようとする政治家が現れ、
語り継ぎの形すら変えられてしまう。

だからこそ、「記憶」は、権力への偉大な抵抗になる。

だから、こんな記事は本当に歓迎したい。

https://bunshun.jp/articles/-/79328

どんなに残酷であっても、語り継ぐときに「柔らかく」「丸める」必要なんてない。

ヨーロッパのダークツーリズムのように、
悲惨な記憶を観光資源として扱う姿勢は世界にある。
そんな姿勢から学びたい。

人々の意識は、ネガティブな記憶があっても、しっかりした教育があれば、深化し、発展し、強くなれる。

で、話を戻そう。

「沖縄の人が、沖縄の平和を語り継ぎ続けるには、何が必要なんだろう?」

発展も進化も変化もしたい。
でも、忘れてはならない記憶を語り継ぐ強さは保ちたい。

戦争体験者がいなくなったとしても、
その“悲惨さ”をしっかりと受け継ぎ、かつ建設的に平和を築いていくために。

「沖縄が嫌い」にならずにいられる心の在り方って、なんだろう?

それは——
私が子育てや教育について深く考えるなかで、ようやく見えてきたものがある。


自己肯定感よりも自己受容を。

以前インスタでも書いたけれど、
「自己肯定感」と「自己受容」は違う。

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Akiko Agarie|中高生専門|思考のOSアップデート™️コーチ(@akko_mindtravel)がシェアした投稿

自己肯定感は、成果や比較で上下する、自分への評価。
でも、自己受容は——
よくても悪くても、今の自分をそのまま受け止める力。

沖縄の人にこそ、必要なのは「自己肯定感」よりも、「自己受容」だと私は思う。

戦後、何もない焼け野原の状態(マイナス)から、
子育てし、働き、コミュニティを立て直し、社会を築いてきた。

日本復帰で基地の問題が終わると願ったけれど、
実際は米軍基地も、その関連問題もそのまま残された。

基地のそばを通れば、電波は悪くなるし(笑)、
自然は破壊されて基地になる。
事件が起きても「地位協定」という壁の前に、フェアな解決すら阻まれる。

それでも、そんな沖縄を“卑下”する必要はない。

沖縄が好きなら、まずは
「沖縄に生まれ育った自分」を、自分自身で受け入れたい。

ネガティブな側面があっても、
それで“自己肯定感が下がる”なんて
方程式にしなくていい。

むしろ——

自己受容を、もっともっと「強く」「広く」「大きく」育てたい。

それが、沖縄の“まくとぅそーけーなんくるないさ”の本質だと私は思う。

ネガティブがあっても、いい。
今の沖縄も、まるごとOK。

でもね。
だ・け・ど!!!

課題解決のためには、「権利」をしっかり主張する。

自己受容ができていれば、堂々と「権利」だって主張できるはず。

今の時代、ぶっちゃけ「権利は主張してナンボ」。

見てごらん、大国のリーダーたちの権利主張の強さ。

移民政策、核施設への攻撃、戦争、関税…。

彼らは声を大にして主張しまくっている。
やりすぎなくらい。

だからこそ、そうした大きな政策のなかで、
被害も影響をも受けるのは「民間の」「小さな一人ひとり」だということを、私たちはちゃんと自覚しないといけない。

反戦も、基地への抵抗も、自然破壊への反論も。

そして——アンフェアな政策やマイクロアグレッションを可視化し、声を上げていくこと。

それこそが、「平和を守る」ということの、静かで強い実践なのだと思う。

私は毎年恒例、平和祈念公園に夕方向かいます。

東江亜季子
東江亜季子 / Akko
沖縄生まれ、元琉球新報記者。教育・越境・子育てをテーマに書いています。
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