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「英語、英語、英語」に囚われる私たちを俯瞰する【戦後の日本人分析考】

何事も鍛錬して体得するには精神力が要るもんです。

今日は私がグローバル教育やグローバル人材育成に関心がありながらも、なぜ英語、英語、英語という発想に特化をしないのかを話したいと思います(例えば自分の🇺🇸ミックスルーツの子どもは日本語重視です)。

まず初めに強調しておきますが
グローバルに活躍していきたいと思った時、英語は絶対に必要です。

ツールとして絶対に必要。

ですが、日本社会において「英語の習得」を語るときに、気をつけないといけないこともあると思っています。

今回のエントリーは
なぜ私たちが社会全体として「英語、英語に囚われる風潮に囚われないよう意識するべきか」を言語化したいと思います。

(今まで長年ボヤッと考えている点を繋げて言葉にするため、慎重にロジックと言葉を選びながら書いてみます)

日本の戦後の歴史と
文化や心理学的な側面からのアプローチですが

下記の目次の順で深掘りします。

  • 楽な方を選ぶ脳と脳をコントロールする意識力
  • 意識の大部分を占める潜在意識
目次

楽な方を選ぶ脳と脳をコントロールする意識力

    まず最初に
    英語は必要です。

    しかし英語だろうと何であろうと
    何かを習得するには、相当の多大な努力が必要です。

    多大な努力
    それはつまり行動であり、
    行動を継続させることであり、
    習慣であり、
    ちょっとのアップダウンに心折れずにやり続けるマインドセット。

    しかし、人間はすぐ怠けちゃう生き物、
    もっと言うと、

    私たちの脳は、癖や楽なほうにパターン化して最小限のエネルギーで物事を進めるようにプログラミングされてもいます。

    生き残るための脳の進化です。

    その楽な方に向かう脳や思考を、
    自らの意識でコントロールをしないと
    多大な努力は継続できません

    意識の大部分を占める潜在意識

    次に、その意識というものを分析したいと思います。

    意識と言うのは
    10%が顕在意識= 表に見えやすい、既に外に現れている意識

    そして残りの90%は潜在意識

    WEB Simply Psychology

    と言われています。

    その潜在意識がどんな内容になっているか、私たちは自覚してるようで、意外と見えていないものです。

    ※潜在意識(無意識)や顕在意識(自我)などの専門的な話は精神科医であったフロイトの心理学の専門記事で読んでくださいね。

    しかしその潜在意識はしっかりと
    情報や身の回りの価値観、環境、
    ひいては社会の歴史・文化によって
    しっかりコントロールされ、築かれています。

    (新聞というメディアのなかにいたのでそこは自覚してます)

    潜在意識を形作る私たちの社会環境や歴史そして意識文化

    これらを前提として、
    英語を取り巻く日本を分析します。

    ③潜在意識を形作る3つの要素に注目
    →【社会環境】英語が身近にない
    →【歴史】敗戦国としての欧米への意識
    →【意識文化】恥の文化

    【社会環境】英語が身近に必要ない

    まずは日常的に英語を話す環境ではありません。
    なぜなら、公用語じゃないから。

    【歴史】敗戦国としての欧米への意識

    次に英語を取り巻く日本人の意識を見たとき、これはしっかりと私たちは歴史によってコントロールされていると思っています。

    Embracing Defeat 『敗北を抱きしめて 第二次世界大戦後の日本人』 John Dower

    歴史を見ると、日本は約80年前
    欧米に対して敗戦国となりました。

    その後に日本を占領したGHQが行った施策は
    日本人を欧米に対して劣等感を植え付けるように仕向けたこと

    これは、
    ジョン・ダウアーの『Embracing Defeat』という本を読み込めばしっかり書かれています。

    この本はアメリカ人の著者の視点で膨大な史料をもとに、日本人の特にアメリカに対しての価値観や、日本人が象徴天皇や軍をどう捉え、敗戦から克服する社会の心理状態をつくったかが、分析されています。ので難しいけどおすすめ

    さぁ英語習得の話だったはずなのに
    戦後の社会意識という大きな話になり

    「昔の話だし、そんな敗戦からの劣等感なんてないし」と思う方もいるかもしれません。

    が、社会全体としての意識、もはや
    自分たちですら認知していない国民性という集合知や日本人の経験と記憶がもたらす「潜在意識」の部分で
    影響があるいうのが私の分析です。

    かつ
    この劣等感意識と、英語が公用語でない社会環境は

    見事に絡み合って「英語習得」へのハードルとなっているとも思っています。


    【意識文化】恥の文化

    さらにもう一つ
    日本人の英語習得の壁になっている文化(意識)となっているものが

    アメリカの文化人類学者のルース. ベネディクト氏が「菊と刀」の中で書いた、有名な説。

    欧米文化は「罪」の文化、日本文化は「恥」の文化

    です。

    キリスト教という宗教をベースにした欧米は「神が見ているので、やらない」という規範。自分と、目に見えない神との対話の中で決まる規律。

    一方で、日本の人たちの行動規範は「恥をかきたくない」です。

    恥というものの存在が日本の社会において、規制のツールになっているとわかりやすいなーと思う例が、

    芸能人のスキャンダルに対しての世論。
    SNSでの誹謗中傷。
    「そんなことをするなんて恥だ」という論を振り翳して、人々は、自分に直接関係ないことにまで口出しをします。

    (他方、欧米特にアメリカは訴訟国家。何か問題があればすぐに訴える。罪を問うわけです)

    社会的に地位を低下させることを制裁とする「恥の文化」な日本。
    起こった物事をルールに照らして裁く「罪の文化」な欧米。


    そしてそういう価値観をもった人々の意識に着目をすると

    日本人は
    人前で恥をかきたくない
    →失敗したら指さされるから最初から控えめに
    →だから自己表現やチャレンジは苦手

    もうお気づきかと思いますが
    この「恥の文化」はトライ&エラーを阻むにはとても高い壁の意識文化となっています。

    それとともに「英語くらい話せないなんて恥ずかしい」の気持ち、ありませんか?(別に恥ずる必要はないのに、です)

    ちなみに、恥と罪について心理学的にどう対応していくか、面白い話を聞いたのでまた今度書きます。w

    自分を振り返らなくていい多様性のなさと教育

    そして最後に、自己を振り返る機会の少なさについて。

    私はここまで書いたように
    日本をできるだけ時空的に遠くから見て
    社会意識を分析して、考えてきたし、
    この記事に言語化してきたわけですが

    日本は外国と比べてどうだろう(他者比較)
    日本は過去に何を経験しただろう(自己回顧)

    をする機会って
    どれくらい私たちの生活、ひいては
    教育のカリキュラムとしてあるでしょうか?

    自分たちのことを振り返る・意識する機会や必要性のなさ。なぜなら、(外国に比べて)多様性が少ないから、比べる必要がない。

    そして教育的にも、幼少期から自分のことを話すShow&Tellがある外国の教育と比べて私たち日本ではアウトプットする機会って本当に圧倒的に少ないです。

    基本的に
    習う、師を尊敬して教えを乞う
    テストに対して回答を出す国として

    教育の現場では何十年もやってきました。

    (ある意味これもGHQの教育施策かもしれませんねw←)

    自分たちのことを話す・表現する機会が少なければ、自分たちのことを振り返ってみることもないし、他とどう違うのか比べることもない。

    人種が入り混じる国に比べて「自分とは」を見る必要がない

    だから、外側ばかりに目が向いて
    「どんな能力を得られればいい人材になれるか」の発想
    になり

    そして短絡的な結論にいきがちなんじゃないかと思っています。

    =英語だ!だって勉強しないとできないじゃないか。
    国際人になりたいなら英語だ。

    間違いじゃないです。でも私は「それって短絡的だ」と危惧しています。


    以上。
    私がなぜグローバル人材育成に関心ありながら、英語英語英語の発想じゃないのか。

    それは

    英語コンプレックスにすぐ目が向くあまり周辺の他のスキルを捉えられないのが現在の日本の社会課題、教育課題だと思っているからです。

    今のところ私のなかでは

    ⁃ 自分を知る自己分析・自己批判と自己肯定感
    ⁃ 論理的に物事を伝えるロジカルシンキングとコミュニケーション力
    ⁃ 自由に表現するクリエイティビティ
    ⁃ トライアンドエラーを繰り返すことのできるしなやかで強いマインドセット

    これらも英語という語学ツールに並んで、
    立派なグローバルスキルだと思っています。
    (ひいては人間のスキル。国なんて関係ない。が、日本は鍛えられていない。でも必要性に気づいてきたから、アントレプレナーシップ教育やプログラミング教育の商品化された形で市場に入ってきてはいる)

    そして、英語だろうと何であろうと何かを習得するには、相当の多大な努力が必要です。

    英語だけに関して解決したいなら
    移住や、インターナショナルスクールなど言語環境を変えてしまえばいい

    でも、それはそうする余裕がある、or
    それを選択肢として選ぶ人たちだけの話でしかありません。

    努力を支えるマインドセットさえあれば
    語学習得は、留学や移住なくとも可能。

    その代わり楽な方に向かう脳や思考を、
    自らの意識でコントロールするために、
    しっかり自分の意識も分析しておいた方がいい

    と思っています。

    今日は私がグローバル教育やグローバル人材育成に関心がありながらも、なぜ英語、英語、英語という発想に特化をしないのかを話をしました(例えば自分の子どもは母語重視です)。

    英語は、ツールの一つとして絶対に必要
    かつ、言語は思考そのもの。

    日本語よりもロジカルな言語構成である英語は学び方次第で
    ⁃ 自己紹介で自分を知り
    ⁃ 文法で論理性・ロジカルシンキング
    ⁃ 練習でトライアンドエラーを繰り返すことのできるマインドセット
    も身についてきます。

    しかし

    「英語、英語に囚われる風潮に囚われない」視点もとっても大切だと日々思っているっていうお話でした。

    あー、こうやって言語化できるまでに何年もかかってしまった。笑
    認知行動療法をちょっと勉強してみたり、言語学思い出したり、大学の専攻だった文化人類学の思考に戻ったり。楽しい知的探究の旅でした。

    ちなみにここで話した
    己知らずして。のロジックは
    海外の文化を実践する現場(私の身近ではストリートダンスのシーン)でも事象として表れてる気がするし、

    例えば沖縄の社会問題にもしっかり反映されてると見ています。

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