アメリカはLAに来ています。コロナも挟んで仕事や生活に集中しすぎるあまり5年ぶりの帰省。

最近は、教育を取り巻く違いを研究するため、日本的な思考と海外の思考のどこに違いがあるのかを観察し続けている私(私の場合は特にアメリカをよく対象としています)。
海外と日本では、もちろん教育の仕組みや中身そのものの違いも大きいとは思いますが、日常生活のコミュニケーションやあり方から何が違うのかを気付きたく、LA滞在中もアンテナ過度にはってます。笑
なので滞在中に気づいたことは言語化していきたいと思います。
何をするにも話し合い
さて、夕飯が終わって、次の日の時間の過ごし方を義両親と話し合い、その後の就寝までの過ごし方はどうするか…。
私は仕事の案件発生で断続的にPCに向かっていたのですが、一方のアメリカ人の夫、義母、義父は「誰がこの後何をする。だから1階を使う、2階に移動する」などを立ち話。
何気ない瞬間だと思いながらも、こういう日常の行為さえもとにかく話し合う時間がすごく多いなという久しぶりの感覚を思い出しました。
阿吽の呼吸や会話ないままに物事が進むことがない。
話し合いの意思疎通▶︎選択した行動に集中▶︎意思疎通▶︎集中の繰り返し。
夫はこのコミュニケーションの基盤にmutual respect(相互尊重) があると話していました。
ちなみに滞在中に実家に泊まったり、送迎やご飯を負担してもらったりすることにもしっかり、負担の意思や感謝の表明、対価をどう返すかの話し合いがある個人主義・リスペクト重視の家庭です。Respectの感覚も日本とアメリカでは全然違うので、またいつか言語化できたら言語化します!
そんなシーンのそばで、日本でダンサーとしてダンスレッスンをする夫のある一コマを思い出しました。
小中学生の生徒相手にレッスンをしている時に、問い掛けをしても返事がない。よくあるシーンです。
「何か言ってくれないと、みんなが何を考えているかわからない。レッスン内容を変えるべきなのかそのまま続けていいのか不安になる」と諭していた夫。
通訳しながら場に居合わせていた私は、生徒のなかでインターナショナル・スクールに通っている数名に「学校でもこうやって問い掛けに誰も返事しないでシーンってなるときあるの?」って聞いたのを覚えています。
その時の彼らの答えはNO。
「そうだよね」と返答しつつ、その日のレッスンを終えたのでした。
アサーティブ・コミュニケーションという概念
コミュニケーションの頻度と深度。家族の会話でさえも、意思疎通と合意形成が多いなと感じていたLA初日の夜、Threadsである呟きに出逢いました。
アメリカに来るならアサーティブネス(自他を尊重した自己表現もしくは自己主張のこと)を知っておいた方がいい
なるほど、ぼやっと疑問を抱いて考えていると、情報を引き寄せるもんですね。SNSおそるべし!
assertiveについて早速リサーチ。assertionとも言われるこの概念は、つまり自己主張・自己表現のことなのですが、その中身に構成要素(3つのC)やTipsがあるようで、英語圏サイトには一つの概念として多数のページで解説されていました。
https://blog.mindvalley.com/assertive-communication
Confidence: Being comfortable with asserting yourself, even if you’re unsure of the other person’s reaction
Clarity: Expressing your needs in a way that is clear, concise, and honest
Control: Remaining calm and intentional with your thoughts, words, and body language, instead of being emotionally reactive相互尊重に基づいた
「自信を伴った主張(相手のリアクションがどうであれ)」
「明確性(正確さと正直さ)」
「考え、言葉、ボディランゲージ、自分の感情やリアクションをコントロールすること」
日本のWEBをリサーチすると、以下。
アサーティブの4原則は、率直、対等、自己責任、誠実
自分と相手の権利を尊重した上で、自分の意見や気持ちをその場に適切な言い方で表現することキング牧師らが努力した非暴力によるアメリカの公民権運動・人権擁護の思想を背景に1960年代以降に発展した概念
私が今日の記事で言いたいのは、英語圏・アメリカで発達している「自己主張の強さ」にはしっかり基礎となる原則とTipsがあるということです。
日本にいるアメリカ人夫のフラストレーション
さて、概念を知った私は実生活の事象と照合しようと思案。アサーティブネスが日本のどんな場で欠落しているのか、していないのか。どんな場面であったら望ましいのか。
一人で悶々と考えた後、LA滞在3日目、夫の家族に、このAssertivenessについて、どう捉えているかを切り出しました。
まず夫に日本にAssertivenessがあるかと思うかを問うと「『みんな同じ』のカルチャーが強くて、そんなに強くないように思うよ」と一言。「そうだね、レッスンの時の応答のなさもそうだし、職員室のあの感じもそう(笑)」とのこと。
「職員室の感じ」と夫が言うのは、日本の学校での職員会議のこと。教頭や校長、主任からの連絡事項を伝達し、何か意見はありますか?と言っても大体なし、で終わる一方的なコミュニケーション。そして会議が終わってから、内容についての意見や批判を、スモールグループで言い出す。
そんな風潮を英語教員時代に目の当たりにしてきた夫は「あんなんじゃ眠くなる」と冗談を言いながら、課題意識をよく口にしていました。
公での主張のしなさと、アンオフィシャルな場での意見表明。
この裏表あるコミュニケーション形態は、アメリカから来た夫にとって、違和感かつ相当なストレスなようです。
人格の問題か コミュニケーションの問題か
ところで、私たちはうまくコミュニケーションや関係性が築けなかったとき、人間性や性格の問題にしたがります。
でも、この記事ではコミュニケーションのトレーニングやそもそもの実践がどれくらい足りているのか、の観点に注意を払うべきということもお伝えしたいと思います。
「アサーティブネス」が近年、盛んに取り入れられているのが心理学や人事の分野。私たちが、一人ひとりの「個の問題」として見がちな、人や従業員との関わりのフィールドで活用されているのが、このアサーティブ・コミュニケーションなのです。
つまり、現実で人を巡って起こり得る問題は、性格・人格の課題ではなく、コミュニケーションの課題である可能性があるかもしれないということ。
そう知っていれば、コミュニケーションの課題としてトレーニングで改善も予防もできます。
コミュニケーションの問題が人格の問題に擦りかわった時 人は生きづらくなる
余談に入ります。
私はよく周りに「こわい」と形容されることがあります(笑)。そんなとき、どういう意味?と深掘りすると「物事をはっきり言うから」「厳しいから」と言われることが多々。
そう言われると、こちらも本音を引っ込めた方がいいんだと思っちゃうので、自分を引っ込めるようになります。
思えば大学入学当初もそうでした。国際科の高校を卒業し、沖縄から横浜に出た私は話し方を変えたし、周りのオンオフ(裏表)のコミュニケーションの切り替えやオンの時の圧倒さに違和感を感じたり、こちらがどう出て良いのかわからず、メンタル的に参っていった。
今でも仕事の場で、主張しても相互理解が醸成できてないなと気づくと意見を引っ込める癖は拭えません。そして苦しくなってその場から心を離す、ということをよくします。自己防衛ですね。
今振り返れば、在住外国人の夫も、日本社会で生きていくために主張を引っ込めて、心潰してたなと思うことも。
先日久しぶりに会った帰国子女の友達も、ずっと同じような境遇で「Opinionatedだとこわいと言われるとこっちも言いづらくなって、どんどん意見を引っ込めるからストレスが溜まるよね、もういいやってなっちゃう」と共感してたのでした。
コミュニケーションは同じ高さの台やカルチャーで壁打ちできる相手同士だと成立しやすく、自分らしくいられるもの。
逆だとテンポや語彙、コンテクストの理解、相手への視座、背景となる環境や経験への想像力がずれ合い、自分らしさを奪ってしまうことにもなりがち。
だからこそ、このアサーティブネスや、アサーション・トレーニングを意識したいなと思いました。
ただアサーティブネスを実践しても「気持ちはわかるけど、ここはみんなの場だから」という同調性を持ち込まれて終了!となるなら状況の難しさは変わらないですが…
「自己主張が強い」と揶揄せず中身を見る
今回、このアサーティブネスという概念に出逢う前までの自分を振り返ると
普段、すごくおしゃべりで「理屈っぽい」と言われる私でさえも、大学で出会った海外の友達や、夫、夫を介して出逢うアメリカ人に対して「理屈っぽいなー」と思うことがありました(笑)…
でも結局ビジネスやオフィシャルな場では、その根強さに敵わないのも事実。よく観察すると、彼らの自己主張は要素がしっかりあり、鍛えられていたんですよね(もちろん例外もありますが)
そのコミュニケーションスキルに対して、自分が返す思考やコミュニケーションを訓練していなかっただけ。アサーション・スキルを持ち合わせていなかったから適切に返せなかっただけということも多々あるなぁと思います。泣き寝入りというかなんというか…返せないから引っ込む的な。
でもまずは、一辺倒に「理屈っぽい」「自己主張が強いよねフィルター」を一点張りして、その中身を捉えられていなかったなと、改めて顧みられるようになった今日この頃です。
最近はあえて、意見を言い返してラリーするのですが、そうすると彼らの「聴く姿勢」や相槌、他者の意見の取り入れ方に関心することも…
公民権運動という歴史を背景に醸成されたコミュニケーションという視点は私に新たな学びの目をひらかせ、理解の一助となりました。
子どもや仕事で関わるティーンネイジャーにも適切な自己主張を訓練していこうと思います。
和の尊重とAssertionのバランス
この記事、リサーチしたり何度も書き直したりして。あっという間に数日が過ぎてしまいました。
アメリカに来て、身近なところからコミュニケーションを分析したり、街の人たちの伸び伸びとした生き方を見たり。「生活しやすいのは日本、生きやすいのはアメリカ」フレーズをすごく身にしみて感じます。
「空気を読む」「本音と建前」文化や年齢・ジェンダーなどの壁がまだ高い日本では、自己主張・Assertionとのブレンドも一筋縄ではいかないだろうなという気もしますが
日本の倫理性とか他者・和を重んじる文化に、少しスパイスが入ったり、使い分けができるだけで、もっと可能性が拓かれるだろうなと考えているので、是非このAssertionも意識的に取り入れていきたい。
Assertionについてリサーチしていたら、自分のコミュニケーションのAssertionレベルをはかる診断テストを見つけました
https://www.verywellmind.com/learn-assertive-communication-in-five-simple-steps-3144969
ちなみに日本研究をし元中学校教員なアメリカのお父さんは、Assertionの重要性を説きつつも、「最近はToo Much(自己主張が過ぎるところもある)」とアメリカ社会のことを危惧。
法務企業の人事でキャリアを積んだ夫のお母さんは「Assertionはとっても大切」な立場でした。
バランス感覚と使い分けですね(バランスばかりとってたら、とんがれないので)。

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