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"習いごと”の限界を感じた世界大会 表現の本質と心技一体

目次

世界で踊る人たちから学んだこと

東南アジアで最大級のストリートダンスイベントRadikal Forze Summer Jamに行ってきました。

普段、教育事業の構築や本業での人事、習いごとスクールを経営しながら「人」をずっと観察している私。最近はその沼、深みにハマりつつありますが。。。。

フリースタイルダンサーとして、その人を際立たせる、「その人らしさ」とは一体何なのか。世界最高峰のダンサーが集まる場で、体感することをとっても楽しみにしていました。

1歩…いや、10歩外に出てみて実感したのは、ダンスという表現ツールを通して、これほど多くの人が“自分”を語っているんだという事実。

今回のダンス旅では、それを文字通り“目の当たり”にしました。

Instagramの画面越しにしか知らなかった、あのWorld classのダンサーたち。
世界で勝ち続けている彼らの姿は、やはり圧巻でした。

世界で勝ち続けているダンサーたちは、もちろんその実績やタイトルが彼らを後押ししているのですが、

私が注目したのはそこではなくて、

「彼らのダンスの“何が”他の人と違うのか?」

その問いを持ち続けて鋭く観察し、知的に楽しんだ旅でした。

この言語化には、正直…帰国後、10日くらいかかりました。笑

そして出た結論は表現者としての「心技一体(しんぎいったい)」
今日は、世界最高峰のダンサーたちが見せてくれた心技一体について。そして「習う」ということについて書いてみたいと思います。

“技術”が「道具」か「身体性」かで、全く違って見える

まず、“技”の面について。
いろいろなジャンルを知っていること、幅広い動きを身につけていること、表現方法の調整の引き出しを持っていること──この大会に来る多くの参加者が、複数ジャンルのダンススキルや表現方法の引き出しを持っていました。

でも、決定的に違ったのは、それを“外側のツール”として使っているのか、それとも“内面化された一部”として動いているのか。

それがワールドクラスのダンサーは明らかに違いました。

「これを知っていれば良いよ」「こうすればいいんだよ」と、外から学んだものを体現してるのか、音楽とともに、内側から自然に湧き上がってくるのか──。

世界トップのダンサーは、完全に後者でした。

Danzelというダンサーの衝撃

今回一緒に旅をしたメンバーが皆、あるダンサーに恋をしたと言っても過言ではありません。

「私たちの誰も、それまでそのジャンル──Waack(ワック)に惹かれたことはなかったのに」と言って苦笑いし認めながらも、

全員が今回の感動の矛先はそのジャンルを踊る彼に向けていました。

みんなが心を奪われたのは、Danzelというダンサー。

なぜ、みんな彼に惚れたのか。13歳、16歳と大人たちは真剣談義。

相方は「彼は本当にHeartで踊っている」と言っていたけれど、それがまさに的を射ていて。

彼の動きは、音楽そのものでした。

多彩な動きや表現の調整は、完全に彼の内側に溶け込んでいて、だからこそ私たちが普段親しんでいる「ジャンルの壁」を壊して貫いて、心の中に入ってきたのだと思います。

本当に開眼の学び。

「なぜ彼のダンスに、私たちはこんなにも魅了されるのか?」というディスカッションをし

相方は「心から踊っている」というのに加えて

Waackというジャンルは本来、音楽を幅広く自由に表現できるジャンルである。にもかかわらず、近年は“腕の動きの華麗さ”ばかりが注目され、腕の技術面だけが評価されがち。そこが彼との大きな違いとも言ってました。

映えが注目され、縦の画角に収まらねばならないInstagramなどSNSの影響もあるかもしれませんね。

Danzelは、インドネシア出身でありながら、ストリートダンスの生まれたアメリカLAダンスコミュニティの一員(LA出身相方談)。

彼のダンスの自由さと深み、音楽性はストリートダンスのルーツに深いと、いう話をしていました。

「技を教える」って、どういうことなんだろう?

ダンススクールの立場から見ると、
技の内面化はとても考えさせられる部分です。

親は「これを学ばせたい」「あれもやった方がいい」とツールの習得を優先しがち。
一方、インストラクターである相方は「本人がそれを本当に選んだのか?」という点を見ている。

そんなシーンは日常茶飯事。

結局は、それぞれのあれやる、これやるを「その家族の選択」と、黙ってる場面は非常に多い。

何事もやってみなければわからないし、は「それはそうなので、まぁいいんじゃない」とするのですが…。

結局やるかやらないかよりも、
私たちにとっては長い目で見ると
やるかどうか決める引力として親の力や意図や押し引きの方がどれくらいを占めたのか。が、後々、本人の内側の強さという意味で課題になります

子の決断に親の引力が全くないなんてことはなく、

子どもは
素直に聞く、
反抗しながら聞く、
とりあえず場をおさめるために聞く、
あまり心底の熱意はないけど一応聞く、
親の機嫌を取るために聞く。
いろんな聞き方・従い方を見せます。

習いごとから出発したダンス人生はその積み重ね。

最終的に、そうやって得てきた技術が“本人の内側にあるもの”になっているかどうか

その違いは、上にいけばいくほどダンスの質に大きな差を生みます。

「これを学んだら?」「この動きを身につけたら?」「このジャンルを勉強したら?」「あれが足りないんじゃない?」と勧めたものが、どれだけ“内面化された状態”で育っていくのか、もしくは外側のツールに留まるのかは、

年齢を重ねるごとに、はっきりと見えてくる。

もしくは「ダンス熱」として表れてくる。

本人や親はうまくいかなかった時に「先生と(ジャンルと)相性が合わなかった」「やり方・考え方、価値観が思ったのと違った」と外側に原因があったかのように表現することでも、

もう一つの引力として「選択した自分の心」「決断のきっかけ」を見直すことも大切だと思っています。そして、それを次に活かす。

話をダンスに戻すと──
私たちも、いろんなジャンルを教えたり伝えたりしているけれど、やはりそれを“技術”として小手先で使っているだけでは、高いレベルですぐに見抜かれてしまう。もしくは高いレベルにはいけない、そこまで続かない、かもしれません。

ある程度の技術や経験はおのずと内面化される過程が必要。

ダンサー自身の内側のみで叶えられる内面化プロセスに対し、
周りのサポート、という強大な引力は、
私たちが思っている以上に大きいものだと、自覚したのでした。

「心」の話

もうひとつ、「心技一体」の“心”の部分について。
これは旅の途中、何度もメンバー同士で話し合い、スクールのメンバーコミュニティにも発信したテーマでした。

「私の表現はこれだ!」と言わんばかりの、圧倒的なオーラと誇り。
“自信”を超えた、存在そのもののようなもの。
世界の舞台には、威厳がある人がいっぱいでした。

子どもでも、です。
(こればかりは強靭な母性と管理型教育の日本と韓国で育てる難しさ、弱点かもしれません)

“芸術は爆発だ”という岡本太郎の言葉がありますが、まさに世界のフリースタイルダンサーはその“爆発”の極みにいる。

それは、ただ技術があるだけでは表現できないものでした。

“自分を信じて、自分を語る力”。

積み上げてきた選択、努力、葛藤──
それらすべてが「表現」に凝縮されていました。
だからこそ、先ほどまで書いていた「技の内面化」も自然に起こるのだろう。と納得しました。

共に旅をしたメンバーは、肌でそれを感じ、共通の認識を持っていたように思います。

帰国前の夜、みんなで話して感じました。

まさに壮大なインプットとダイアログでのアウトプットの旅。

だからこそ、帰国後は「まずは心で踊ろう」と話し合ったし、練習というより、ダンスを通して自分に向き合うことの大切さを共有しました。

また、自分たちの内面的な弱さについても、あえて厳しく語り合った。ダンサー本人は本人として。親は親として。私はスクールのサポーターとして。

“究極のもの”に触れるという体験は、こうして「自分を深く知る」学びへとつながる。
それが、今回の旅の最大の意義だったのだと思います。

やっぱりダンスは“自己探求”そのもの

私は“ダンサー”ではないけれど、10年近くパートナーと共にフリースタイルの世界を見てきました。

音楽──それも即興的な音楽と、場の人々の熱気が生み出す空間で繰り広げられる、表現活動。

知れば知るほど深みにハマっています…

そして、そこには言葉にできないような“神聖さ”すら宿っていると感じ、

今回は特にとても深く、感動しました。

こうした表現に触れたとき、私たちは自分の“内面の深さ”と向き合わされる。

この旅は、まさにその経験でした。

さて、この旅は内面的な学びにはなりましたが、
習いごとビジネスにとっては、またまた立ち止まるきっかけとなってしまいました。笑

もう、2、3年も弊スタジオは入会の扉を、全開にできないでもいるというのに。笑…

習いごとの限界と、はじめの一歩への葛藤

心技一体。

ダンススクールのスタッフである私としては、この心技一体は正直、教える難しさを感じているのは事実。(相方は全く悩んでません。プロダンサー、先生のプロとして本人の意向90%、親の言葉10%しか見てないくらい腹くくってるから)

マネージメントをしている私としては
保護者という“大人の選択や判断”が大きく影響する習い事の世界の中で、スクールの伝え方に、はたまた悩みます。

キッズダンスは「ダンスできたら、かっこいい」の保護者の思いで始まることが多い(Kpopはそうでもない。最初から本人主体が多い)。

かつ、年齢が上がれば上がるほど、親も成長や成果を気にするのは、普通のことで、そこから、子どもの分離、独立が、とーっても課題になる──例え、親も本人うまくいってると思ってても、実際は思ってない Parentsコンプレックスもいっぱい見てきました。

しかし、世界レベルを目指すダンサーならなおさら、
本人の主体的な選択こそ命なのは明らか。

結局、ダンスが本人のものに、
本人”だけのものに”、なり得るかは
いつか過渡期になるのです(他の習いごともそう)。

ここには書いていませんが、今回40万人フォロワーがいる11歳のダンサーMatamiyuさんのお母さんともお話させていただいて…彼女と話した内容よりもお母さんの話すスタンスや人柄から、ひしひしとそれは実感しました。

「習い事」として始めた以上…親は熱くなるし、サポートもする。
もちろん子どもの成功を願わない親はいない。

そして、その思いが実に様々な、声かけや接し方として、
子どもに降りかかる。矛先はスクールや先生に対しても。

そんな現実が頭にありながら、
初めてダンスの扉をあける初心者親子への説明をどうするか。。。。とても難しいです。

スクール主の相方(夫)の意向や理想を聞きつつ、
マーケティング担当として
言語化や説明、フロー構築にずっと悩んでて。

また手が止まってしまいそうです。

というか、相方もまた、方向転換。

一緒に行ったメンバーはじめ
既存のメンバーへの施策の方が
また優先順位が上がりそうです。

今日ここに書いた理論を

キッズダンスを関心持ちはじめた層に、
最初から理解してもらうのは難しいかもしれないですが。

でも、少なくともこうは伝えたい。

ダンスは、ただの振り付けの模倣じゃない。

自己探求であり、創造であり、
“自分と向き合う手段”でもある。

子どもたちが“自分の手で、自分の踊り”を育てていけるように。

言いたい言葉も引っ込めて。
やってあげたいことも一瞬、手を出すのを留めながら。

本人をどれだけ尊重できるか。

そんな世界です。

今回行ったメンバーみんなで「ダンスが好き」や「ダンスが自分のものになっている」という一言の言葉の中身にどれだけ濃淡があるか、すごい実感するね。と何度も語り合いました。

ダンスが好きといえど、
自分らしくダンスしてる、といえど

日本を出るとその強度の強さ弱さにかなり差があるねとひしひしと実感した旅。

そしてお互い腹割って厳しいことも指摘し合える仲間には感謝しました。頭の片隅に昨年、発表された幸福論を思い浮かべながら。

世界のトップで踊る人々のダンスは、まさに“強さと美しさ”の結晶。
10年近く、パートナーの隣でダンスシーンを見てきたけれど、あそこまで疑いようもなく心を揺さぶられたのは初めて。

かつて一度だけ、Salahさんのワークショップで似た感覚を覚えたことがあるけれど、 今回のRFSJではその感覚に陥らせるダンサーが複数いて。刺激の連続。圧倒でした。

来年は、この感動をもっと広く分かち合いたいな、と思います。
でも。一緒に行くみんな、ハードルは上げずに淡々とね。w

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