MENU

沖縄の人がしっかり育みたい、「芯の強い自己受容」と、“権利を主張していい”自分への許可

今日は、戦後80年の慰霊の日。

新聞記者から始まった私のキャリアは、紆余曲折を経て、最近はもっぱら「教育ビジネスの立ち上げ」に心を砕いている。

とはいえ、「教育」といっても、私がいま一番関心を寄せているのは——精神性、メンタル、心理、そして脳科学の分野。

子どもが生まれてからは、自己肯定感の深掘りをきっかけに、愛着パターンや愛着障がい、人生脚本、機能不全家族、トラウマなど、「子どもが育つ家庭環境」に強く意識が向くようになった。

学べば学ぶほど、自分自身を取り戻すような感覚になる。

特に、新聞記者を辞めてからの私は——
「お金を稼ぐ」ことや「仕事のため」という理由で、自分軸からどんどん乖離していったのだと、いま振り返って思う。

さて、最近になって、意外なひらめきがあった。きょうはその話。


沖縄を離れた友人や、今も沖縄に暮らす人のなかにも、
沖縄戦の記憶や平和教育、そして押し付けられる米軍基地の存在、その周囲に広がる社会問題のなかで——

「沖縄が嫌だ」と思ってしまう人たちが、ずっといる。

ネガティブな歴史や社会構造から目を背けながら、
社会的・経済的に発展したいという強い志を持ちつつ、
その志の裏で、やっぱりどこかに“嫌悪感”が同居している。

でもそれって結局、根っこには、沖縄への想いがちゃんとある。

ただ——
ネガティブなことって、やっぱりしんどい。
背負うのも、語るのも、少し重すぎるのだ。

だから、蓋をしたくなる。…わかる。すごく、わかる。

特に、私自身、子どもを育てる今、
あの沖縄戦を語り継ぐ「平和教育」を、我が子がどう受け止めるだろう?と、
少し先の未来を想像して、不安になることもある。

うちの子は、アメリカ人とのミックスルーツ。だからこそ、余計に。

私の著書でも触れたとおり、沖縄という場所の歴史と社会問題は、
ミックスルーツの子に、避けようのないかたちで降りかかってくる。

あわせて読みたい

それでも、「悲惨な記憶は語り継ぐべき」——これが、私の個人的な主張だ。

だって、人は忘れる生き物だから。

忘れたとき、蓋をしたとき、
歴史を修正しようとする政治家が現れ、
語り継ぎの形すら変えられてしまう。

だからこそ、「記憶」は、権力への偉大な抵抗になる。

だから、こんな記事は本当に歓迎したい。

文春オンライン
「人間の首から上が木にぶら下がり…」「海の波打ち際にも遺体が」15歳で“地獄の沖縄戦”に参加した女性(96... 太平洋戦争末期、住民を巻き込んだ激しい地上戦の戦場となり、20万人以上の命が失われた「沖縄戦」。影響力の大きい政治家が沖縄戦について発言し、話題を集めたことも記...

どんなに残酷であっても、語り継ぐときに「柔らかく」「丸める」必要なんてない。

ヨーロッパのダークツーリズムのように、
悲惨な記憶を観光資源として扱う姿勢は世界にある。
そんな姿勢から学びたい。

人々の意識は、ネガティブな記憶があっても、しっかりした教育があれば、深化し、発展し、強くなれる。

で、話を戻そう。

「沖縄の人が、沖縄の平和を語り継ぎ続けるには、何が必要なんだろう?」

発展も進化も変化もしたい。
でも、忘れてはならない記憶を語り継ぐ強さは保ちたい。

戦争体験者がいなくなったとしても、
その“悲惨さ”をしっかりと受け継ぎ、かつ建設的に平和を築いていくために。

「沖縄が嫌い」にならずにいられる心の在り方って、なんだろう?

それは——
私が子育てや教育について深く考えるなかで、ようやく見えてきたものがある。


目次

自己肯定感よりも自己受容を。

以前インスタでも書いたけれど、
「自己肯定感」と「自己受容」は違う。

自己肯定感は、成果や比較で上下する、自分への評価。
でも、自己受容は——
よくても悪くても、今の自分をそのまま受け止める力。

沖縄の人にこそ、必要なのは「自己肯定感」よりも、「自己受容」だと私は思う。

戦後、何もない焼け野原の状態(マイナス)から、
子育てし、働き、コミュニティを立て直し、社会を築いてきた。

日本復帰で基地の問題が終わると願ったけれど、
実際は米軍基地も、その関連問題もそのまま残された。

基地のそばを通れば、電波は悪くなるし(笑)、
自然は破壊されて基地になる。
事件が起きても「地位協定」という壁の前に、フェアな解決すら阻まれる。

それでも、そんな沖縄を“卑下”する必要はない。

沖縄が好きなら、まずは
「沖縄に生まれ育った自分」を、自分自身で受け入れたい。

ネガティブな側面があっても、
それで“自己肯定感が下がる”なんて
方程式にしなくていい。

むしろ——

自己受容を、もっともっと「強く」「広く」「大きく」育てたい。

それが、沖縄の“まくとぅそーけーなんくるないさ”の本質だと私は思う。

ネガティブがあっても、いい。
今の沖縄も、まるごとOK。

でもね。
だ・け・ど!!!

課題解決のためには、「権利」をしっかり主張する。

自己受容ができていれば、堂々と「権利」だって主張できるはず。

今の時代、ぶっちゃけ「権利は主張してナンボ」。

見てごらん、大国のリーダーたちの権利主張の強さ。

移民政策、核施設への攻撃、戦争、関税…。

彼らは声を大にして主張しまくっている。
やりすぎなくらい。

だからこそ、そうした大きな政策のなかで、
被害も影響をも受けるのは「民間の」「小さな一人ひとり」だということを、私たちはちゃんと自覚しないといけない。

反戦も、基地への抵抗も、自然破壊への反論も。

そして——アンフェアな政策やマイクロアグレッションを可視化し、声を上げていくこと。

それこそが、「平和を守る」ということの、静かで強い実践なのだと思う。

私は毎年恒例、平和祈念公園に夕方向かいます。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次