戦争は、戦争そのものが良くない。ずっとそう思ってきました。
でも、この1年、私は心理学的な視点を交えて、親と子の関係、子どもの学力、そして才能の発揮への影響をずっと考えてきました。そのなかで、戦争や差別に繋がる別の線が見えてきたので、今日はその話をします。
↓ 去年の記事
https://akikoagarie.com/2025/06/23/self-compassion/
子どもが子どもらしくいられなかった時代
みなさんは、日頃どんな子育てを意識していますか。
私は平常時の今でさえ、仕事とメンタルの両立、子育てとの両立に頭を悩ませています。娘一人に、できるだけ質の高いものを与えたいと思っています。
でも、私の母やその兄弟たちが育った“戦後時代”はどうだったか。沖縄であれば、まったくの焼け野原になったところから、家を建て直し、働きながら6人、7人の兄弟を育てる。
当時、6人7人のきょうだいは当たり前。子どもたちはある程度大きくなったら働いて家の助けになることを、暗黙の了解として求められた時代でした。
子どもが子どもらしくいられる時代ではなかった。端的に言うと、そういうことです。親ガチャならぬ、環境ガチャ、時代ガチャ。
感情を出せない家、という傷
そんな時代・環境に生まれた子どもは、どう育つか。
昨今では脳科学やNeuro Scienceの分野で、人は感情を表に出すことが認知機能の低下予防につながるとわかってきています。でも、その「感情の表出」、私の母の戦後時代にできたでしょうか。
家も焼かれ、建て直し。子どもは5人、6人。学校にも行かせてやりたい。そんななかで、子どもがちょっと「私もごちそう食べたい」とでも言おうものなら、「うるさい!ありがたくいただきなさい」となるのは、母の話でも聞きます。
戦争は、終わった後の家族の感情表出を奪う。そして、家族関係や心理状態に、かなり深い傷を残すのです。
戦場から帰ってきた父たち
もう一歩、想像を奥深くまで膨らませましょう。
日本兵として戦地に出向いた祖父や、各家庭の男の人たち。彼らが戦場で経験したものを抱えて家庭に戻ったとき、どんな父親になったのでしょうか。当時の教育は、いわば洗脳です。特攻思想や、戦争を美化する教育でした。
私の祖父も、出兵経験は帰ってきてから口にするのを嫌がりました。人を殺すような戦場に行き、それを素晴らしいことだと特攻的な思想として教え込まれていた日本兵が、一家の主として、どのように子どもをしつけ、育てるのか。あまり想像がつきません。
ただ一つ言えるのは、寛容で優しくて、心が温かく、メンタルの波もない、本当に優しいお父さんになる——というのは、なかなか簡単ではない、ということ。
私でさえ、自分が育てられたのと同じパターンの言葉や関わり方を、つい子どもにしてしまいそうになります。それを何とか自分流に変えていこうとしているのが、今の私の子育てです。
でも、私の母やその兄弟たちは、戦時中の思想を植え付けられた両親のもとに育ちました。きっと過酷で厳しい父親だったでしょう。どんなに人格的に優しく生まれても、時代は厳格さを男性に押し付けたのだと思います。
サバイバルモードの親世代
戦争、徴兵がもたらした、父性、母性、親のあり方像について、ちょっと想像深まったでしょうか?
心理学を学びはじめて時々目にする説があります。「厳しいしつけは良くない」という考え方です。厳しいしつけは、愛着を不安定・回避型に導くことがあります。
子どもは基本的に、生き延びるために親の気分や雰囲気を読み取ってしまう生き物ですので、厳しいしつけは、子どもを常に過緊張の状態——最近の神経科学の分野で「サバイバルモード」と呼ばれる状態にしてしまうのです。
まさに、サバイバルモードな父親、母親世代だったのだと思います。そして、その人数がかなりの数、沖縄にはいるだろうと思うと、沖縄で起こる社会問題、家族問題、貧困の問題は、かなり戦争の影響が色濃い。代々受け継がれてきた子育て観や、家庭の内側にある文化を、そんなふうに想像するようになりました。
スタートラインが後ろにある人の子育て
そしてもう一つ、このロジックを当てはめて考えているのが、差別や偏見です。たとえば、黒人差別。

この動画を見たことがありますか。特権がある環境に生まれるとはどういうことか、その構造を可視化した動画です。
私が今回考えたいのは特権側ではなくて、スタートラインが一番後ろになってしまった人たちの「子育て」に、どういう傾向が出るのか、ということ。すでにビハインド(後ろ側)にいる人たちが子どもを産んだとき、どういうマインドで子どもを育てるか。それを、ちょっと想像してみてほしいのです。
私だったら、自分自身がビハインドに立たされたとき、親心として「絶対に子どもには同じ思いをさせまい」と思う。それが子育てにどう表れるかというと、厳しいしつけや管理、支配、コントロールになり得る。必ずしもそうとは限らなくても、その傾向や危うさをはらみやすいことは、想像に難くないと思います。
意地になって、どうにか子どもに同じ思いをさせたくない。だから、なんとか私の力で「押し上げたい」「アップリフトしたい」と願う。すると、子どもには一定の力が加わります。
子育ては「プログラミング」だから
その力が、いい踏み台ならいい。でも、圧力かもしれません。
この力によって押し上げられた子どもや次世代は、その力なしでは飛べない、上にいけない——そんなジャンプ力になりかねないのです。
子育てって、ある意味「プログラミング」だなと思っています。その子に備わる脳や感覚、行動がどう作用するかを実験し、訓練する18年間。でも、力で作用を仕込むと、力なしでは動かない性質になってしまい得る。
憎むべきは、親ではなく
戦争も差別も、親が意地になってしまう「力」を引き出す装置です。
親が自分から選んで「力」を入れるようになるのではありません。戦争や差別がある→スタートラインを変えてしまう→後ろ側に立たされた人は、後世に同じ悔しい思いをさせまいと意地になって「力を入れ出す」。そういう順番なのです。
悪いのは親じゃない。そうさせてしまった社会の偏見、差別、争い、戦争こそを憎むべきだ——それが、私の今年の慰霊の日の想いです。何度でも強調したい。人をビハインドだと思わせてしまう社会構造に目を向け、それに加担しないこと。
気づけたから、分かること
これが、この1年、高齢になっていく母と話をしながら、同時に母親の皆さんや、中高生から未就学児までの子育て支援・教育支援サービスを行いながら、人の一生、女性の一生を長い目で見て気づいたことです。
戦争や差別は、世代を超えて禍根を根深く残し、連鎖する。
でも、それに気づけたからこそ、これからどうしていけばいいのかも、はっきりと分かるようになりました。
たとえば沖縄が、戦争の記憶と、平和を求める自己主張を、どう分けて、両立させて発信していけばいいのか。たとえば女性が、母親になったとき、自分の力を子どもに対してどう適切に使っていけばいいのか。
親と子のコーチングをやっていると、不思議と、沖縄と戦後のこともよく見えてしまう日々です。
そして、こういうことが見えてくる度、今も世界で起こっている戦争が、また10年、20年、30年と子どもたちの世代の「子育て観」に尾を引くのかと絶望します。
戦後81年 慰霊の日に寄せて
6月22日の夜に