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【相対的価値と絶対的価値】地方新聞のいいところに気づいた

新聞記者だった頃、特に市町村単位の地域ニュースを扱う部署にいたときのこと。
「とにかく取材に来てください!」と何度も連絡してくるおじさんたちが、ちょっと苦手だった。

「もっと大きなニュースがあるのに」とか、「正直、今日は休みたいな」なんて、心のどこかで思っていた。
記者として「伝えるべき」ニュースを追いたいという気持ちもあったし、「伝えたい」と思える対象でなければ、心が動かなかったのかもしれない。

でも、今日ふと思った。
「こんなイベントやります」「これを伝えたいんです」って、誰かが自信を持って言えるって、なんて素晴らしいことだろう。

目次

自分のことを伝えたいと胸を張って言えることは尊いこと

自分の活動や思いを、胸を張って人に伝えたいと思えること。
それって、実はすごく尊い状態だ。

私自身、若い頃は情熱をもって言葉を発信してきたけれど、年を重ねると、いろんなことを経験して、時に気持ちが萎えることもある。
大谷翔平選手でさえ、信頼していた人の裏切りに遭うようなことが起こる。人生って、いつも順風満帆なわけじゃない。トライアンドエラーの連続だ。

今、私は5人の小中学生と定期的に対話を重ねている。
目立つ活動をしている子もいれば、静かに内省を深めていく子もいる。どちらも、その子らしくあればいい。
大切なのは、「自分に自信がある」と感じられること、「今の自分が満たされている」と思えること。

私が何度も語ってしまう話だけど──この国では、自ら命を絶つ若者が少なくない。
習い事の現場でも、スランプ、落ち込み、逃避、そして再起。そんな姿を何度も見てきた。
だからこそ、若い人たちが前向きに、あるいは淡々とでも、自分の道を歩んでいることが、どれほど素晴らしいことかと、日々思う。

取材価値は絶対的価値 構成は相対的価値

新聞をパッと広げたとき、記事の大小がある。
何面に載っているか。
そもそも記事になっているか。いつ記事になるか。

ニュースの世界は「相対的価値」で成り立っている。
すべてのニュースが他との比較の中で決まっていく。

でも、「取材に行くこと」「記事を書くこと」自体には、絶対的な価値があると、今なら思える。

だから先輩たちも言ったんだろう「まず現場へ」と。

行く前から相対的価値を予想していた自分はまだ未熟だったかな。

もし私がもう一度メディアの仕事に戻ったら、世の中の出来事や、誰かの「伝えたい」は、きっと違った視点で見えるだろう。

「こんなことがあったんです。ぜひ取材に来てください」と言える勇気。
「これをもっと多くの人に知ってほしい」と願える心。

それは、人が社会の中で生きていくうえで、とても大切なことなのだと思う。
飲み会の席で、「あんなニュースより、こっちを取材すべきだった」なんて言い合っていた10年前の自分には、まだ見えていなかった価値観だ。

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