朝5時の団地が教えてくれた社会
階段を降りて廊下を行く途中、ある住人は仕事へ向かって行ったり、起きて廊下に出てタバコを吸っていたり。
一軒一軒家の前を通ると、そのお家から独特な家庭の匂いがする。芳香剤なのか、線香なのか、それ以外の何か特有のその家の香り。
何か懐かしいような感覚が襲ったりもした。
まるでにおいから感じる、その土地の文化・社会を感じる感覚に似ている。海外の空港に降り立った時や、市場を歩く時に感じるあの匂い。
今日は、そんな体感をした「新聞配達の仕事」と、そこからの気づきについてnoteを書こうと思う。
なぜ新聞配達を始めたのか
自分でもびっくりだが、しばらく新聞配達の仕事をしていた。元々は新聞記者。そして今回は配達員。情報が人の手元に届く流れを感じたり、スポーツ紙や聖教新聞などの記事をチラ見したり。いろんな気づきと学びを得たこの仕事も、もうすぐ終わろうとしている。
そもそも自分の人生の荒治療的に始めたこの仕事の目的は、子育てや仕事の合間に自分の事業の取り組みをする時間が取れなくて、朝早く起きる強制性のためだった。
その目的が100%叶ったかというと、正直怪しいところがあるが…。頭のブレスト時間にはなった。起業当初に大事な時間だったと思う。
しかしそれ以上に、この仕事を通じて気づいた自分のことと社会のことがあまりにも多い。今日はそれを書き残しておきたい。
【自分のこと】新聞配達から得られた4つの効果
まず個人的な収穫について振り返ってみたい。予想以上に多くの効果があった。
1. 早起きの継続による自信の回復
ずっと体力不足に悩まされていた早起きを、こんなにも継続できるとは自分でも驚きだった。強制的だからとはいえ、続けた自分に自信を取り戻すことができた。
2. 集中力の向上
そして、とにかく歩き続けて新聞を配り続けるというフロー状態での動作時間を設けることで、格段に自分の集中力が上がるという効果を実感した。
3. 知識の大幅な拡充
特大級の効果は、配っている1時間半の時間を通して、実にいろんなポッドキャストを聞いて、Audibleを聞いて、知識を取り入れることができたことだ。この効果は、私の考え方やライフスタイルを根本から変えたものであり、とてもありがたく、今でも影響し続けている。
この間に習得した知識:
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脳科学や潜在意識の話
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心理的な話
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人とのコミュニケーション、関係性
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家族の健康を見直す食や健康法
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その他様々な分野
4. 運動量の増加
そして最後に、やっている間はある程度体重を落とすことができたと思う。笑
【社会のこと】団地という場所で見えたもの
しかし、この新聞配達で得た最も大きな気づきは、個人的な効果以上に、配達先として日々向かった「団地」という場所での体験だった。
団地という場所の特性
実は自分も幼い頃、団地に住んでいたことがあった。この新聞配達でも半分は団地の家庭に配達した。
団地は県や市などの自治体が運営する住宅。所得が低くても、その収入に応じた金額の家賃で入れるとても便利なところだ。
一方でそれは、家賃を抑えたい・抑えざるを得ない所得証明を出す家庭が住んでいるということでもある(必ずしも全ての世帯がそうではなく、おそらく余裕のある家庭もある)。
ちなみに、配達の前半は、裕福な人たちの戸建て住宅とアパート、マンション。そのギャップも最初は強烈に感じた。
「禁止」であふれる空間への衝撃的な気づき
そして、この仕事ももうすぐ終わりなんだと思いながら配っていた今朝、はっと気づいたことがある。

張り紙から見えた社会の特徴
エレベーターホールやエレベーターの中に貼られている張り紙。住人の人たちにお知らせ、つまり共有認識を周知するものなのだが、基本的に
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これをやったらダメ
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これは禁止
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人に迷惑がかかる
という文言と絵。 「×」「ダメ」「NG」で溢れている。丁寧に絵もついていて、よく伝わる。
対比としての他の空間
その直後、私は想像した。同じエレベーターでも、タワーマンションやリッチなデパートだとどう?
「ダメ」や「NG」はどんな社会層で流布するのか。
「ダメ」や「NG」の感覚を、どこでどのように育んでいるのか、
それがどんなところによく表れるのか。
「こういう行動が迷惑です、やめてください」という注意書きが生まれる根本は何か。
認識や考え、価値観が違うということ?価値観が違うからルール化?
こんなに注意書きが溢れる前に、できる衝突緩和はなかったのか。。。。
いろいろ考えてしまった。
娘の反応を思い出してハッとした
続いて、パッと私の頭によぎった2歳の娘との日常で、もっと気持ちは落ち込んだ。彼女は最近、公園やエレベーターに貼ってある標識や指南書みたいなものを「これは何?」と意味を聞いてくる。

画像加工済み
もちろんそれは「ーーーしてはダメ」という内容ばかりで、それを伝えることになる。
私はその光景を思い出して、
「ああ、そういうことか」「他の国や社会だったらこんな会話ばかりになるのかなー?」と肩を落とした。
彼女のアテンションもそっちに向いてしまっている環境。
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どんなメッセージが溢れる世の中に暮らすと、心が広く、精神的に平和になれるのか?
いろいろ、悩んでしまったが…、
これからは意味を伝えるにしても、どう伝えようか、言葉や伝え方をしっかり考えようと決意した。
パターナリズムという病理
この団地の光景を通じてやっぱり思い出したのが、私が高校生の頃から大嫌いな感覚・概念パターナリズムだ。
パターナリズム
強い立場にある者が、本人の意思に関わらず、その人の利益になることを理由に、その人の行動に介入・干渉すること
この概念が日本という社会をどんどん窮屈にしているという肌感覚は、何をきっかけだったかは忘れたけど、高校生か大学生の時に思った。
余談だが、今回の選挙も、厳しくなる生活の中で人々の意識が大きな力による改革を望んだもの、その結果として現れたんだと思っている。
私が大切にしたいこと
だからこそ、やっぱり私は:
人、一人ひとりの内側に力を育てたい。
人、一人ひとりの内側から育まれる力を大事にしたい。
そう思った。
毎月1万円以上会費がかかるオンラインサロンの知的講座を聴きながら歩いた団地の廊下。
耳からは限られた人しかアクセスできない情報。視界と嗅覚からは、いつも私が触れない感覚。
新聞配達は私の考察に混乱を生じさせながら、日中とは違う「文化圏」に入っていく時間だった。
そして、それは自分がきた道でもある。
この仕事も今月で終わり。どのコミュニティに属するかで、どんな情報や言葉、人に関われるのかはこの1、2年ですっかり身に染みているからこそ、この構造的な社会層を自由に移動できるように。
次世代が社会層を自由に移動できるように、知や言葉で、もっと温かくしていきたい。
今週末はパートナーのダンスの生徒とシンガポールへ。この本でも読もうかしら。
ちなみに私は「物理的な移動」ができなくても、「知識で人は移動できる」と信じている。それはTOEFLの点数と父の他界で留学を諦めた大学時代、沖縄から出る難しさを感じていた高校生の頃から自分に言い聞かせたこと。
だから自分のハンドルネームがMind Travelなんだ。今のところ。

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